前回言及した通り、中国で麻雀が広まったのは19世紀の後半ですが、当時の日中関係が良好でなかったことも影響し、日本での麻雀の普及は20世紀に入ってからとなります。
日本人で初めて麻雀を体験したのは、かの夏目漱石であると言われています。漱石は1900年頃に中国の大連という町へ出向いた際に麻雀に出会った、と自身で書いています。夏目漱石が1000円札に使用されたのは、常にデカピンで打っていたから、というトリビアもあります(真偽不明)。
その後、文藝春秋の創立者である菊池寛などの影響により、1910年〜20年代に掛けて、知識人の間で徐々に麻雀が広まります。1929年には日本麻雀連盟が誕生し、初代総裁には菊池氏が就任しています。当時の文藝春秋は出版業以外に、麻雀牌の販売も行っていたと言われていますから、如何に菊池氏が麻雀に心酔していたかが垣間見えます(公私混同も甚だしいですが…)。
しかし、同時に日本が本格的な戦争状態へ突入した影響もあり、一般人への浸透には至りませんでした。
一般人の間で麻雀が流行を見せ始めるのは、太平洋戦争終了後の1940年代後半です。当時、アメリカでも既に麻雀は一般的に遊ばれるゲームであり、日本に駐留していたアメリカ軍が麻雀を日本人の間にも広めた、と言われています。マンガや小説でも取り上げられているように、この頃に活躍したのが、「坊や哲」こと阿佐田哲也です。現在の日本における麻雀ルールが確立されたのもこの頃で、中国オリジナルの麻雀とルールが異なるのは、アメリカの影響を大いに受けているためです。
1950年代になると、東京の新宿や上野を中心に、フリー麻雀という営業形態も始まり、1960年代以降の高度経済成長期には、学生やサラリーマンを中心に麻雀が一大ブームとなります。阿佐田哲也の「麻雀放浪記」や大橋巨泉の「麻雀実践教室」も人気を博し、当時の全国の雀荘数は現在の3倍以上であった、とも言われています。プロ団体も次々と設立され、小島武夫ら麻雀プロが大いに活躍するようになります。関西と関東でルールに違いが現れたのも、この頃のようです。
この年代のサラリーマンは、全員が全員麻雀を打てるといっても過言ではないでしょう。メンツ集めも容易だったはずです。
1980年代に入ると、ゲームセンターの麻雀ゲーム(特に脱衣麻雀)が人気を得るようになり、1990年以降、徐々に麻雀愛好者は減り続けていると言われていますが、「東風荘」を始めとするインターネット麻雀や「麻雀格闘倶楽部」、女子プロ雀士などの新たな文化を生み出しつつ、現在に至ります。
日本における麻雀は、大まかにこのような成長を辿ってきました。若干50歳のゲームですが、時代に翻弄され、様々な改良と栄枯盛衰を辿って今日に至ることが分かります。個々の時代や登場人物についても今後じっくりお伝えしていきたいと思います。



