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第3回 「麻雀偉人伝 -阿佐田哲也- 」

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今回から数回に分けて、麻雀における「偉人」を紹介していきたいと思います。第1回は、「雀聖」阿佐田哲也氏です。

阿佐田哲也は本名を「色川武大」といい、1929年に東京都で生まれました。麻雀での活躍が脚光を浴びてきましたが、本業は小説家であり、1978年には「離婚」という作品で直木賞も受賞しています。「阿佐田哲也」という名前は、ギャンブル系の小説を書く際に使用したペンネームで、徹マンをした後に「朝だ…。徹夜だ…。」と言った時に思い付いたペンネームであると言われています。(ちなみに、直木賞を受賞したのは「色川武大」の作品です)

阿佐田氏の名前を世に知らしめたのは、1969年から週間大衆に連載された小説「麻雀放浪記」です。「麻雀放浪記」は主人公「坊や哲」が戦後間もない日本各地で激戦を繰り広げる麻雀小説で、後に映画化、漫画化、ゲーム化もされている麻雀小説の傑作です。当時の麻雀ブームの火付け役にもなった作品です。

阿佐田氏の自叙伝的小説と言われていますが、実際には大半のエピソードがフィクションだとも言われ、真偽は未だもって不明です。実際、小説の舞台となっている戦後の東京(特に新宿)において阿佐田氏は玄人として活躍しており、小説家を目指す傍ら旅打ちにも明け暮れていたと言われています。まあ、週刊少年マガジンに連載された「勝負士哲也〜雀聖と呼ばれた男」に出てくるようなあり得ない登場人物や対局を見ると、ノンフィクションだとは信じがたいですが…。いずれにせよ、麻雀放浪記が日本の麻雀界に残した功績は計り知れません。当時は「子供につける名前」のランキングでも「哲也」が上位にランキングされていたと聞きます。

執筆活動の傍ら、阿佐田哲也は1970年に小島武夫、古川凱章とともに「麻雀新撰組」を結成し、麻雀の普及にも尽力しました。麻雀新撰組は現代の麻雀プロ団体のルーツとも言える団体であり、TVや雑誌等のメディアへの積極的な露出を図ることにより、多くの人に麻雀を広める役割を担いました。多くの麻雀関係者が雀聖に心酔し、現代の麻雀界にも多大な影響を与えています。同時に、この頃から「Aクラス麻雀」等の麻雀戦術書も数多く手がけており、現在でも麻雀の入門書として広く読まれています。

阿佐田氏を語る上でもう一つ欠かせないのが、「ナルコレプシー」という病気です。ナルコレプシーとは、日常生活の中で突然眠気や倦怠感を感じてしまう難病のことで、原因は特定の脳内物質の不足と言われていますが、明確な治療法は現在も見つかっていません。阿佐田氏は1965年頃からナルコレプシーの症状を訴え始めます。ギャンブルの世界(裏の世界)に生きる道を選ばず、小説家の道に専念したのは、この病気のそのせいでもあると言われています。ナルコレプシーを患う人は非常に珍しく、著名人のナルコレプシー患者は阿佐田氏以外では聞かれません。現在でも、麻雀が長引いて明け方に眠くなってしまう人をナルコレプシーとする不謹慎なギャグが伝わっています。

さて、最後に、阿佐田氏が残した名言を紹介させていただきます。「人生は全勝できない。8勝7敗でよしとせねば。」

雀聖は何故ここまで愛されているのか?それは、上の言葉にも見られるように、無敵の玄人ではなく、勝ったり負けたりする人間味の溢れる麻雀好きだったからではないでしょうか。決して孤高の天才だった訳ではなく、その人間性に多くの人が魅了されたのです。

雀聖が亡くなって既に20年近くが経っていますが、そのカリスマ性は衰えを知りません。現代の麻雀文化があるのは阿佐田氏のお陰である、と言っても過言ではありません。麻雀放浪記、坊や哲の存在とともに、雀聖の名前は永遠に語り継がれることになるでしょう。

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